夜の創造

杉並太郎


 これはなぜ夜が造られたかという話である。
 これはまた、私がいかに働いたかという記録でもある。
 製造者が私を作り仕事を与えた当初は、何事ものどかなものであった。
 ある日、私は指示者の命令を受け取りに行くことになり、そのためにバスに乗ることになった。バス停は家の前にあったが、バスはなかなか来なかった。ようやく来たバスに乗って役所に行くと、役所はもう閉まっていた。役所が開くのを待ってからまたバスに乗り家に帰ってきて命令書を見ると図書館から資料を取ってくる必要があることが分かった。
 図書館に行くにも、いつ来るか分からないバスを使い、着いたところで図書館が使えるとは限らなかった。実に効率が悪く、すばらしくのんびりしていた。
 また、仕事もいい加減で図書館で借りた本を開いてみたら半分ほどしか書かれていなくて、著者の結論が肯定的なのか否定的なのかも分からなかった。それは他人の仕事だけでなく、自分の仕事についても言えることで、誰かが私の報告書を取りに来た時には、書きかけの報告書を渡すこともあった。というのも、その場で報告書を渡さないと次にいつ取りに来るかまったく分からないからである。
 やがて製造者はじれてしまったのか、すべての機関が同じようなペースで仕事を進めるように命令した。その合図として朝を作った。
 朝になると家の前のバス停にバスが止まっていて、すぐに出発できた。そして役所も図書館もバスが着く時には開いていて、すぐに仕事が進むようになった。もちろん、朝と同時に夕暮れも造られたのだが、そちらはまったく重要ではなかった。その理由は主にバスが朝の一便だけだったからである。つまり、朝に役所まで出かけて行って命令書を受け取り、次の朝に家に帰って命令書を読み、その次の朝に図書館に資料を取りに行くという具合だった。
 ただ、港に行く時は別だった。船は毎朝到着するというものではないからだ。役所の命令で港に荷物を取りに行く時はたいていもう船が着いていてすぐに荷物が受け取れたが、荷物を海外に送る時はそうはいかない。港で何日も船を待って荷物を送ったり、時には手紙を送ってその返事が届くまでずっと港で待ち続けることもあった。
 そのうちにまた改革があって、夕方にもバスが走るようになるわ、使い走りが一度に二つも資料を運んでくれるわ、命令書が複雑になって一遍にいろんな事をやらさられるわ、なんだかもう訳が分からんくらい忙しくなってきた。新しいお手伝いさんたちはやけに大柄で、時々上半身と下半身を入れ替えたりするという芸まで持っているし。
 あんまり一遍にいろんなことが変わったのでこの時は気付かなかったが、どうも一日が短くなってすぐに朝が来るようになったようだ。
 この変化の中でも一つだけ良いことがあって、それは裏の仕事がなくなったというだ。それまでは、実をいうと時々裏の仕事がまわってきて、表の仕事をやめて裏の仕事をしなければならない時があったのだ。裏の仕事といって別に法に触れるという訳ではなく、内職のようなものだが、それでも仕事を二つも抱えるのは大変なことだった。
 この時は大きな変革だったので仕事が忙しくなるかと思ったけれど、初めのうちは前と同じような仕事ばかりでむしろ退屈するほどだった。また、この時には図書館が増築されたのだが、蔵書がまだ入っていなくて増築部分は使えなかった。
 やがて仕事も増えてきて忙しくなり、図書館も蔵書が増えて万事が順調と思えた時、再び製造者の改革が行われた。実はこの時の改革は二度に分かれていたのだが、一度目の改革はあまりにも小さかったので今では誰もそれを覚えていない。二度目の改革は仕事に室に関するものだった。
 管理体制が厳しくなって、何をするにも監視者の許可が必要になったのだ。だが、以前の仕事をこなすためには、一々許可を取ってはいられなかった。とりあえず、前からの仕事をする時には許可は要らないという了解を得ることができた。が、この時も図書館の増築が行われ、増築部分に入るにはどうしても許可が必要であった。
 ところが当時の仕事というのは、ほとんどが前からの仕事で、ただ資料だけ新しい増築棟にあるものが必要というものであった。そのため、ただ図書館に入るためだけに監視者の許可をもらいに行かなければならなかった。
 ところがこの監視者は一度起こしてしまうと、とたんにあらゆる事に口を出しはじめるので仕事にならない。それで、図書館から必要な資料を持ってきた後は監視者に仕事を止めてもらう必要があった。その方法はいくつかあったが、一つは外国のお偉いさんにお願いして、監視者に圧力をかけて止めさせるというものである。もう一つはわざと二回続けてミスをするというものである。この監視者はミスをしたものには必ずその後片付けをさせると決めていたのだが、その後片付け中にミスをすると呆れてしまうのか、仕事を止めて帰ってしまうのである。外国から圧力を掛ける方法はいつでも有効という訳ではなかったが、このダブルフォールト法は常に有効だった。
 そんな訳で初めは監視者を一時的に起こして許可をもらうことが多かったのだが、そのうち仕事の初めから監視者と一緒にやることも出てきた。そもそもこの監視者も製造者の作ったものなのだから、仕事の邪魔をするためのものではないのである。きちんとした管理体制の下で働く習慣が出来れば、監視者と一緒に働くのも苦ではなかった。
 だが、そういうきちんとした仕事の途中でも昔馴染みの業者に発注すると、いい加減な仕事の仕方をすることがある。そういう時にはかなり困る。というのは、今度は業者が帰った後では監視者に仕事を再開してもらわなければならないからだ。もちろん、昔からの業者は使わないという手もあるが、確かな腕の業者は多くないのでそうも行かない。
 幸いにもこの監視者には次の日にやることをメモしてから眠るという癖があった。朝そのメモを見てそのとおりのことをするのだ。我々は監視されては困る仕事の前に、監視者に次に何をやるのかをメモしてもらい、それから続けざまにミスをして監視者を帰らせてしまう。それから、昔ながらの仕事をやって、監視者の家に行ってメモを置いてくるというわけだ。
 この頃、隣に計算の得意な人が越してきて、時々計算を手伝ってもらうようになった。けれど、そのことを知ってそいつを当てにして計算の仕事を持ち込んでくる者も出てきた上に、その計算の得意な奴も留守にする事が多く、そういう時はそいつの代わりに面倒な計算をしなければならなかった。
 監視者を騙すような仕事の仕方を製造者は当然よく思っていなかった。そして再び大きな改革がなされた。道路は一気に広くなり、増築に増築を重ねて迷路のようになっていた図書館もとうとう巨大図書館として新築された。我が家のお手伝いさんたちはパワードスーツを着用するようになった。
 仕事の上でも変革は大きかった。昔ながらの職人業者との付き合いは続いたが、監視者は片目をつぶって古いやり方を見過ごすことが出来るようになった。もっとも、初めから監視者を起こさないで仕事をすることも相変わらず多かった。というのは最大手の顧客がそのやり方を要求していたからだ。
 その顧客の仕事をする時には新しい機能は使えなかったが、改革によって仕事の速さも向上していたので、顧客はそれだけで満足だった。
 図書館が大きくなるとその内容も変化し、絵画なども展示するようになり、だんだん美術館のようになってきた。
 次の製造者の改革は小さなものだった。隣の計算屋が同居して一緒に仕事をするようになったのと、図書館の特別貸し出しによって一度にかなりの本を借りて来て、家に置いておくことが出来るようになったのである。
 しかし、計算屋は同居してからもしばしば留守にし、代わりに計算をしなければならないことが多かった。図書館の本を家に置けるようになると、何日も家を出ないで仕事をすることが多くなった。
 そのために製造者の改革にしばらく気付かなかった。図書の貸し出し期限だと思って図書館に持って行ったらまだ期限になっていなかった。それでわかったのだが、私の家だけ一日に二回も朝と夜が来るのである。これではまるで電照鶏である。鶏は夜に電灯を点けると朝が来たと思って卵を産むのだ。こちらは朝を合図に立ち上がって仕事をしているのだから、一日に朝が二回来たら二倍の仕事をしてしまうではないか。だが、しばらくすると一日に朝が三回も来るようになった。
 事務仕事なのに暑くて汗だくになる程だった。製造者にそう言うと冷房を入れて汗が出ないようにしてくれた。
 次の製造者の改革はCIだった。会社の名前をラテン語だかギリシャ語だかに変えたのだ。また、仕事には相棒が出来て二人で同じ仕事をするようになった。計算屋は出かけることがなくなった。また、同じ町内に図書館の分館が出来たので、たいていの資料はちょっと歩いて行って借りられるようになった。特別貸し出しも続いていたので図書館の本館に行く必要はさらに少なくなった。
 この頃から少しずつ昔ながらの仕事、監視者に目をつぶってもらわなければならない仕事は減ってきた。それでもなくなった訳ではない。きっとこの手の仕事がなくなることはないだろう。
 その後も家の隣に図書館の分館ができたり、芸術系の仕事が入ったりと忙しい日々は続いている。けれども、一日に何度も朝が来るのにはいまでも閉口している。一日の長さも短くなっているような気がする。
 今後もますます厳しい変化が私を待っているだろうが、時代の最先端を全速力で暴走しなければならないコンピュータチップとしては今後もひたすら働き続けるしか道はないのだ。
おわり

 注意:これは学習マンガではありません。記述には勘違いや不適切な比喩が含まれています。


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