黄金時代の終わり

杉並太郎


 あの夏がいつ始まったのか、わしにはよく分からん。
 ある朝、鶏小屋に卵を取りに行ったら卵が六個あった。雌鶏が五羽、雄鶏が一羽。なのに卵が六個。こりゃあ、きのう一個取り忘れたなとわしも思ったよ、その時は。ところが、次の日も卵が六個あったんじゃ。まあ、雄鶏が卵を生むこともあるのかも知れん。世の中、いろんなことがある。その次の日はなんと七個じゃった。
 わしは黙っておったよ。わしの長年の経験から言うと、こういうことは人に言った途端、終わってしまうもんじゃ。いやいや、人になんぞ言うもんか、誰にも言わなかったよ。
 マー爺さんは違った。マー爺さんは豚を愛していてな。餌に気を遣い、日に三遍も様子を見に行き、豚にブラシをかけ、それはもう並み大抵の可愛がり方ではなかった。おかげで神経質な豚どもは爺さんが気になってろくに餌も食えず、村で一番痩せていたんじゃ。
「うちの豚どもが太りはじめたぞ。うちの豚どもがころころと太りだしたぞ。わしの育て方は正しかったんじゃ」
 マー爺さんはうれしくて仕方がなく、村中触れてまわったんじゃ。
 マー爺さんが豚の自慢を始めると他の豚飼いたちも黙っている訳にはいかなくなった。
「おらとこの豚は一遍に二十匹も仔を産んだもんで、母豚の乳首に吸い付けねえ奴が出るほどだ」
「わしんとこじゃ種付けした牝豚がその次の日に仔を産んだぞ」
 みんな隠してやがった。もっとも、麦の刈取の頃には隠しようがなくなっていたがの。いやはや、びっしり実を付けた麦の重いの何の。半分くらいしか実の入っとらんかった年が懐かしいくらいじゃ。刈り入れも大変なら脱穀も大変じゃった。袋は足りなくなるわ、倉庫はいっぱいになるわ。そのくせ、誰も隣村に助けを借りようなどと言い出す者はおらんかった。いやいや、こんなことよその村には教えられんよ。
 役人が収穫を調べに来る前に、屋根裏から床下、墓場にまで隠したんじゃが、それでも共同倉庫の中には八割程残っちまった。もっとも、倉庫の中を見て役人はそれ以上探そうとはしなかったがの。
 ホウ爺さんの葡萄が実りはじめると、隠すも隠さないもなくなってしまった。
 木になっているうちから、酒の香りがぷーんとただよい始めたんじゃ。いやいや、実によい香りじゃった。ホウ爺さんは時々実を摘まみながら半分酔っ払って収穫しておった。酒の匂いに誘い出されて、わしらも手伝いはじめ、村中が酔っ払って葡萄を摘んだものじゃ。
 この匂いは隠しようがなく、街道を通りかかった若者や、商人や、なんやらかんやらを巻き込んで大騒ぎ。中には役人も混じっておったが、上役の悪口をいいながら一緒になって騒いでおった。
 たいした大騒ぎじゃったよ。酒と食いもんはいくらでもあり、女もいた。酒につられて集まってきたんじゃ。夕暮れになると大きな焚き火をして夜通し騒いでおったよ。
 わしも酔っておった。そんなわけであの大騒ぎがどれだけ続いたのかよくわからん。気が付いたときには、夏が終わっていた。
 隠しておいた麦が食べおわり、倉庫を開けてみたら中は鼠の死体でいっぱい。おそらくは、倉庫を閉めるときに腹の膨れた雌鼠を一緒に閉じこめちまったんじゃな。鼠は穀物のある限り増えつづけ、倉庫いっぱいの麦が、倉庫いっぱいの鼠になっちまった。
 豚は種牡どころか母豚まで食っちまったたし、鶏は夜通しの浮れ騒ぎに驚いて卵を生まなくなったところをスープのだしにしちまった。葡萄の木は切り倒して焚き火にしちまった。牛は食っちゃいねえ、つまり、全部はくっちゃいねえ。食っちまったのは、柔らかい子牛と役立たずの牡牛だけだ。牝牛の乳の出がこの頃悪くなっている。
 馬鹿なことをしたと思うかもしれんが、それが夏というものなのじゃ。もう、終わってしまったがの。食い物がたっぷりあって、酒と女が手に入る時には、先のことなど考えないものなんじゃよ。
 通りがかりの連中は酒がなくなるといつのまにかいなくなるし、村の若いもんも一緒にいなくなっちまった。残ったのは、乳飲み子を抱えた女と爺さん連中だけ。しかし、いつのまに子供が生まれたんじゃ。そんなに長いこと騒いでおったかのう。
「食いもんをくれ。わしら乳飲み子を抱えてるんじゃからの」
 川向こうの鬼婆が腕に赤ん坊を抱えて言った。いやいや、この婆さんまでがのう。それにしてもどこの物好きが……。
 村にはわしら年寄りと、女と、乳飲み子と、乳のでない牝牛が残されただけじゃった。これでどうやって食っていくかが問題というわけじゃ。ここが年寄りの智慧の見せ所じゃよ。わしは言った。
「赤ん坊を食って、女を売り、牡牛を買えば良いのじゃ」
「いやいや、牝牛を売って、パンを買い、女の乳を飲めば良い」
 隣の爺さんが言った。まったく、赤ん坊のことはどうでもいいらしい。
「いやいや、赤ん坊を売って、牡牛を買い、鼠を食えば良いのじゃ」
「赤ん坊なんぞ、売れるかいの。それに、鼠はまずいぞ」
「妖精族なら赤ん坊を欲しがっとるぞ」
 そこで妖精族と取り引きした。妖精たちは金を持っていず、赤ん坊と交換に林檎酒を差し出した。再び夏。これは妖精の夏と呼ぶべきじゃろう。林檎酒を飲みながら、牝牛を食っちまった。
 残ったのは、女どもだけ。
「こうなったら、爺さん連中を食うしかない」
 女どもが相談しておった。
「待て、待て。年寄りなんぞ食ってもうまくないぞ。それより、街道で若い男を誘惑してくれ、わしらが始末するから。な、若い男の方がうまいぞ」
 酷いことをしたというのか。そのとおり。しかし、それが冬というものじゃよ。実り豊かで、食い物がたっぷりあればどうして他人に酷いことなんかするだろうか。しかしな、食い物がないときは、仕方がないんじゃよ。どうにも、仕方がないんじゃ。
 しかし、それも長くは続かなかった。悪い噂が立って、街道を通るもんがめっきり減っちまった。まあ、無理もないがの。女たちが集まって何やら相談しているもんで、こりゃあいよいよまずいと思い、女どもを役人に引き渡し、雀の涙ばかりの報奨金を受け取った。それは、ビールに化けて腹の中を通り過ぎたちまち小便になって出ていった。
 まったく、年は取りたくないものじゃ。旅人を襲おうと思っても、斧を振り上げる力もなく、落とし穴を掘ろうと思っても腰が言うことをきかん。まさに人生の冬じゃ。なんにもいいことはないのう。なんとか襲えるのは同じ年寄りくらいだし、食ってもまずい。
 今朝、やけに冷えこむと思ったら、霜が降りておった。これはわしの長い人生経験からいうと冬の始まりということじゃ。夏はどこへ行ったのかのう。まあ、仕方がない。また鼠を捕まえ、木の根をかじって暮らすとするか。

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