くさびら

杉並太郎


 雨が降ると、ゴミ収集車が来ない。
 ゴミの収集は市役所ではなく業者がやっている。アパートの管理会社が業者に委託しているのである。それというのもアパートの住民がゴミの分別をしないので市役所からゴミ収集を拒否されているからだ。
 業者は分別されていないゴミでも持っていってくれるが、ゴミの集収日でも来ないことがある。来る時間もまちまちで、昼頃来ることもあれば、朝早く来ることもある。
 一度収集業者の顔を見たことがある。ちょうどゴミを出しに行った時に出会ったのだ。業者は髪を赤く染め、いくつもピアスを付けた若い男であった。普通なら、ゴミの収集は二人か三人でするものだろうが、その男は一人で作業をしていた。会釈をしても男は黙ったまま作業を続けていた。何かに怒っているような表情だった。
 遅く来るぶんには構わないが、早すぎるのは困る。ゴミを出しに行った時にもう持っていかれた後だと、そのまま部屋までゴミ袋を持ち帰らなければならない。アパートの住民は一向に気にしていないようである。前の晩からゴミを出してあるし、ゴミの日でなくてもゴミを出す。
 近所の飲屋がこれに目を付けたようだ。三リットル入りの焼酎のプラスチック・ボトルがまとめて捨ててある。
 一時期はカラスの溜まり場になっていた。ゴミ袋が破られ、中身が散乱していた。アパートの住民はこれも一向に気にしない。ゴミ収集車が去った後も、破れたゴミ袋と散らかったゴミはそのまま放置されていた。見かねた近所の小母さんが掃除をしていたようである。
 これはアパートの管理会社がゴミ置き場に網を被せてからは改善された。

 光反応型である。
 灯かりが点いていると、眠れない。ところが、アパートの前にマンションが出来た。引っ越した次の年である。その通路に一晩中電灯が灯っている。晧晧たる輝きである。部屋の電灯を消しても窓際なら本が読める。
 自然、不眠症になる。
 田舎の父も不眠症であった。ある夜、父は蛙の鳴き声がうるさくて眠れなかった。翌朝、父は蛙殺し装置を造りあげた。竹竿の先に電極を取り付け、農業用の二〇〇ボルト電源を接続したものである。装置を造りあげると、父はさっそく家の裏を流れる川に行って、蛙を殺しはじめた。一日で二百匹を超える蛙を殺し、父はすっかり満足してぐっすり眠った。
 父の安眠を助けた電気の力が、ここでは私の睡眠を妨げている。
 しゃれた外観のアパートで、天窓が付いているのが特徴である。その天窓から、前のマンションの電灯が差し込んでくる。天窓は高く、吊り下げたチェーンで開閉するようになっている。天窓と普通の窓を開くと、高低差から極めて効率的に換気が出来る。閉じている時でも、天窓からはガラスを通して光がよく差し込んでくる。
 一度不眠症になると、不眠症の生活パターンが作られる。夜眠れないものだから、朝が遅くなる。電灯の光で眠れないのだから、太陽の光ならなお眠れないはずなのだが、目覚しが鳴る午前七時頃、急に眠くなる。
 酔っ払いが喧嘩をしている声も、新聞配達が安普請の階段を駆け降りて行く音も聞こえているのに、目覚し時計の音はしばしば聞き逃す。
 不思議なことに、電車の中では良く眠れる。音もうるさく、光も明るいのに。これは電車の振動が、胎内で聞く母親の心臓の音に似ているからだろうか。近い将来、技術が進歩して電車の振動が無くなってしまったら、不眠症の人はどこで眠ったら良いのだろう。

 寒がりで暑がり。
 寒い時は昼間でも寝てしまう。昼間は良く眠れる。単に夜型なのだろうか。
 暑いと眠れない。アパートに据え付けのエアコンは旧型で、寒くすることは出来ても涼しくすることは出来ない。暑い部屋で寝ていると、喉に汗をかく。喉以外の場所にも汗をかくが、喉に溜まった汗はかゆい。
 制汗スプレーを使ってみたが、一時的な効果はあるが、すぐにどろどろになってしまう。それが、更にかゆみを増すようにも感じられる。
 喉に生えている髭の根元が特にかゆい。寝る前に電気髭剃りで剃っておくのだが、喉がかゆくなって手を伸ばすと、伸びた髭に気付く。汗を養分にして髭が伸びているようだ。

 単調な音が眠気を誘うようだ。
 電車の音だけでなく、雨の音も眠気を誘う。大粒の激しい雨はうるさいけれど、小粒の雨、霧のような雨、雨の降る音は聞こえず、雨だれの音だけが聞こえるような静かな雨は心を落ち着かせてくれる。
 梅雨の季節は不眠症の私がゆっくり眠れる季節である。単調な雨だれの音だけが聞こえる暗い朝はとても起きる気になれない。一年分の睡眠をこの季節だけで取り戻そうと、頭で考えた訳ではないけれど。
 けれどゴミが溜まる。
 一週間分溜まったあたりから、何とかしなくてはと考えるようになったのだが、朝の眠りの心地よさから抜け出せない。朝から晴れていた日に、早く目が覚めてしまい、この機会にゴミを出そうとゴミ袋を両手に提げてゴミ置き場に持っていったところ、ゴミ置き場にはゴミが山のように積まれ、道路にまではみ出していた。仕方がないので、そのままゴミ袋を持ち帰った。
 玄関の中にまとめて置いたゴミ袋の山にカビが発生した。会社から帰ってカビ臭いのでゴミ袋を見てみたら、緑色のカビが中から溢れ出していた。専用のゴミ袋ではなく、スーパーの買い物袋をゴミの袋に使っていて、手提げ部分をしばっているだけなので、袋の口がきちんと閉じていないのである。
 カビはあまり好きではない。ブルーチーズは食べるけれど。
 浴室用の塩素系カビとりスプレーをゴミ袋にかけた。スプレーしてから気が付いた。このままではゴミ袋に触れない。ゴム手袋を買わないとといけない。とりあえず、カビは見えなくなり、カビ臭さも塩素の匂いに紛れて消えたので、ついそのままにしてしまった。
 翌日は土曜日で仕事もなく、朝から細かい雨が降っているようで、単調な雨だれの音だけが響いていた。外は薄暗く、ずるずると眠っているには最適である。何かしなければならないことがあるような気もしたが、それが何かも思い出せないまま、いつまでも布団の中でぐずぐずしていた。
 ようやく起きだしたのは昼に近い時間だろう。外はまだ降り続いていたが、それなりに明るい。壁に人の形がぼんやりと見えたので、誰のポスターを貼ってあったかなと、よく思い出せないままに、目を近づけて見た。
 それはカビであった。白い壁にカビが生えて濃淡を作り、その陰(かげ)}が人の形に見えたのだ。私はこのアパートの壁が薄いことを知っている。隣の部屋で壁を叩くと直接響く。間には決して人の入る隙間などはない。壁というよりもふすまに近いのだ。カビの作る陰は偶然人の形に見えたに過ぎない。何も心配することはない。そう自分に言い聞かせ、トイレを済ませると再びベッドにもぐりこんだ。
 しかし、ベッドの中でよく考えてみると、死体は壁の中にあるとは限らない。隣の部屋のこちら側の壁に死体が立てかけてあるのかも知れない。そう言えば、いつもうるさい隣の部屋が今日は妙に静かである。以前は本当にうるさくて仕方がなかったのだが、いつから静かになったのだろうか。
 ここ二、三日はよく眠れているので、その間は静かだったに違いない。それは人間の体がカビだらけになるのに十分な時間だろうか。外国の警察では様々な条件の下で死体がどのように腐って行くかを研究していると聞いたが、日本では研究していないのだろうか。
 そう言えば一週間程前に、引越しのトラックが停まっていた。隣の部屋が静かなのは単に引っ越していったためかも知れない。六月は引越しには時期外れのような気もするが、結婚の多い季節なのだから、引越しだって多いだろう。
 だが、死体と一緒に暮らすのが嫌で引越ししたのかもしれない。死体と暮らすのが好きな人は多くないだろう。アパートの管理会社に黙って引越しをして、しばらく家賃を払い続ければ発覚を伸ばせると考えたのかもしれない。
 トイレに行ったばかりなのに、どうも落着かなくなってきた。
 もう一度起きだしてみる。壁を見ると人間の形の陰など全くなかった。壁一面が色とりどりのカビで覆われていたのである。やはり、部屋の中に洗濯物を干し続けたのがよくなかったのだろう。
 その時、壁一面の色とりどりのカビが一斉に胞子をはじき出した。私はそれを吸い込んでしまった。
 カビの種類は、ケカビ、ヒゲカビ、クモノスカビ、アオカビ、ハイイロカビ、ミズタマカビ、ベニコウジカビ、アカパンカビ、クワイカビ。
 胞子ばかりでなく、分生子や遊走子も部屋の中に飛び散っていた。
 私はそれらをすべて見ることが出来た。どうしてこんなに小さなもの見ることが出来るのだろう。
『カビの胞子を吸い込んだために、意識の領域が拡大したのだ』
 《世界解釈者》が合理的な解釈を作りあげた。
 拡大知性で考えてみれば、部屋中のカビの原因はゴミ袋にあり、隣の住民と無関係なことは明らかである。ゴミ袋にカビが見えた時には、既に胞子が飛び散っていたのである。そうでなかったとしても、カビとりスプレーを吹き付けた時に、胞子が飛び散ったに違いない。
 もっとも、カビの胞子はもとから空気中に大量にあるのだから、条件さえ整えばいつでもカビは発生するものなのだ。壁紙だって壁に糊付けされているのだから、糊にカビが生えたのかもしれない。
 ホコリも部屋中に積もっている。ホコリの中にはダニの足や屍骸がまじっているというから、それがカビたのかもしれない。湿気さえ十分あれば、たいていのものがカビるのである。
 拡大した意識で見ると、カビは美しい。半透明の細胞壁の中に丸い核が見える。林立するケカビの胞子嚢柄が薄明るい窓の方に揃って首を曲げている。ミズタマカビの黄色い胞子嚢柄がゆっくりと光の方に曲がったかと思うと、胞子嚢をまるごとはじき出した。
 アオカビの分生子柄は先端から次々とくびれて分生子となっていく。先端からは、分生子が押し出されるように空中に出て行く。絶えることのない生命の営み。

『最初の生命は分解者であった』
 《世界解釈者》の啓示が下りた。
 最初の生命が誕生した時、その周りには生命になりそこねた多くの有機物があった。最初の生命はその有機物を分解して、自己と同じものを作り出した。それを以って最初の生命と呼ばれる資格を得たのである。それはまた、生命になりそこねた有機物を生命として構成し直す行為でもあった。
 だが、カビは真核生物であり、最初の生命からはずいぶん進化してしまっている。ほとんどのカビが有性生殖を行う。有性生殖が観察されていないカビでも、単に有性生殖を起こす条件が満たされていないので、観察されていないだけであろう。
 私はベッドに横になっていた。拡大した意識での観察は、方向感覚を失わせる。ミクロの世界では重力が弱く、上下の違いが大きな意味を持たないからだ。
 蒸し暑く感じたので、シャツを脱いだ。エアコンをつけるよりもその方がいい。このくらいの蒸し暑い部屋の方が、カビたちにとっては快適なはずだ。

 私の胸の上を何かが這い回っていた。このカビの楽園に侵入者が来たのだろうか。よい匂いがする。
『変形菌フィザルム』
 《世界解釈者》が侵入者の正体を見破った。
 だが、フィザルムなら侵入者ではないとも言える。動きまわる変形体から子実体を形成し胞子を作るからだ。残念ながら、栄養が豊富にある間は子実体を作らない。この部屋には、フィザルムの栄養も豊富だろう。
 だが、変形体が動き回っているのは、栄養が不足してきた証拠ではないのか。私が気が付く前からフィザルムがいたなら、既に食物を食べ尽くしているかもしれない。
『フィザルムは子実体を作る。作るんだ』
 《世界改変者》が念じる。
 《世界改変者》は願えば世界が変わることを知っている。どんなことにも合理的な解釈が存在することを《世界解釈者》が知っているように。
 フィザルムは子実体を作りはじめた。平面上から丸いふくらみが立ち上がり、やや細い柄の先に球状の子実体ができた。色は黄色。
 子実体の中では、減数分裂が行われ胞子が作られる。胞子は茶色をしている。手で子実体をつまむと胞子が飛び出してきた。胞子は私の体の上で発芽してアメーバとなる。アメーバは私の体の上を這いまわって食物を取っては分裂して増えていった。しばらくすると一匹が汗の溜まったところに落ち込み、鞭毛を生やして遊走子となった。
 遊走子は鞭毛を使って盛んに泳ぎまわっていたが、別の遊走子と出会うと常温で核融合して変形体となった。変形体は核だけが分裂を繰り返して、多核の巨大細胞に成長する。
 常温核融合の特許はユタ州立大学が持っているのに、このフィザルムは勝手に核融合している。電気を使わない方式なら特許に触れないからいいのか。
 考えがくだらないことに向いてしまったので、目を開けて部屋の中を見まわした。
 壁からキノコが生えていた。
『カビとキノコは本質的に同じものである』
 《世界解釈者》はカビの生えるところならキノコが生えてもおかしくないという。
『しかしキノコが育つには栄養が足りないだろう』
 《世界否定者》出現した。
『カビよりキノコの方が利用できる栄養源が多い。セルロースも分解できるから』
 《世界解釈者》は決して不合理な現象を認めない。
 見渡してみると、壁から大きなサルノコシカケが生えていた。触ってみるととても硬い。サルノコシカケは多年生のキノコである。いくら湿気があるといってもこんなに大きなサルノコシカケが急に生えてくるだろうか。
 そこは先日まで本棚の陰になっていて見えなかったところではないか。部屋の模様替えをして、本棚を動かした時にサルノコシカケが生えているのをみて驚いたような気がする。
 いや、部屋の模様替えなどしたことはない。いつも賃貸契約の更新前に引っ越していたではないか。模様替えではなくて、この部屋に引っ越してきた時にすでにサルノコシカケは生えていたのだ。不動産屋に文句を言おうとしたら、サルノコシカケは漢方薬になると言われたのを覚えている。

 どうしてもトイレに行きたくなって、ベッドから出た。さっきから何度もトイレに行ったような気がするが、どれも夢だったようだ。
 子供の頃、寝小便がなかなか治らなくて、トイレに行く夢をよく見た。夢の中でトイレに入ってから、これは夢だからちゃんと起きてトイレに行かなくてはいけないと考えているのである。
 用を足してから部屋の中を見回すと、何も変わったことはない。カビも生えていなければキノコも生えていない。ただ雨の音がしているだけである。
 それにしてもミクロの世界では重力が弱くなるというのは発見であった。ミクロの世界では重力が弱くなり、時間が速くなる。時間が速くなるのは情報伝達の距離が短くなるからだ。
 夢の中でよくそういう法則を発見する。どれもこれも世紀の大発見のような気がするが、目覚めてみればごく当たり前のことに過ぎない。
 外は暗く、まだ夜明け前である。
 机の上を一匹のナメクジが這っていた。
 まあ、これだけ散らかしていれば、ナメクジの一匹くらい這い回っていても驚くことはない。子供の頃、ナメクジに塩をかけるという罪なことをしたことがある。このナメクジはしばらくそっとしておいてやろう。
 黙って観察していると、ナメクジは机の端まで這って行った。端に着くとアザラシが首を持ち上げるように体を起こした。体を起こしてそのまままるい粒になった。机に刺さった待針のようだ。
『細胞粘菌キイロタマホコリカビ』
 《世界解釈者》が言う。
 やはりカビやキノコが生えていたのは本当のことだったのか。だとしたら、私の吸い込んだ胞子も体の中で発芽しているのだろう。
『拡大された意識は、菌類がその宿主に贈る贈り物』
 日本人は土葬しなくなったからなぁ。
 私はベッドに横になり、不用意な動きで体内に伸びた菌糸を切断しないように、ただじっとしていた。拡大された意識は自分の体内に伸びる菌糸の姿も見せてくれた。あちこちで免疫系の攻撃を受けながらも、それを上回る速さで菌糸を伸ばしていく。
 体内に十分菌糸を張ると、すでにボロボロになっていた表皮からキノコが伸びてきた。小さな鐘形のかさの下からウェディングベールのような白いレース飾りが広がっている。
『キヌガサタケ』
 《世界解釈者》によればキヌガサタケはキノコの女王である。一介の哺乳類に過ぎない私にとってはまことに光栄なことである。
 最後の細胞までこの女王様に分解されてしまえばいい。
 いきなり暴力的なまでに強い光が差し込んだ。雨が上がったのである。六月の日差しは強い。雨さえ降っていなければ、真夏の暑さにもなる。
 強い日差しを受けると、部屋中に生えていたキノコやカビは見る間に縮んでなくなってしまった。私の心に浮かんでいたどこか優しい気持ちもすっかりなくなった。
 玄関に積んであったゴミ袋の山を持てるだけ手に掴むとゴミ捨て場に持っていき、カラスよけのネットの下に無理矢理詰め込んだ。
 台所で手に付いたカビやカビとりスプレーの薬品を洗い流す。まったく、カビなんかのどこがいいんだ。キノコならともかく。


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