骨女の告白

杉並太郎


 子供の頃からで御座います。
 確か小学校の一年生か二年生の時のことかと思います。同級生に中沢さんという子がおりました。私などと違いまして目のぱっちりした美しい子です。ちょっと大人びたものの言い方をする子で、それも先生やほかの子供たちに好かれる理由のようでした。
 それまで私と遊んでくれるのは家が近所の幼馴染だけでした。ところが、先生が一人で遊んでいた私を見つけてしまったのです。たしかその先生は、担任の先生が産休の間だけ来ている臨時の先生でした。
 その新しい先生は、随分と張り切っておりまして、子供たちに私と遊ぶようにと言ったのです。その言葉を聞くと中沢さんは私に話しかけるようになりました。話しかけると申しましても、一方的に自慢話をしたり、あるいは、家族のことを尋ねた後で馬鹿にしたようなことを言うというものでした。それでもその子にしてみれば、遊んでやっているというつもりだったので御座いましょう。私があまり喜ばず、却ってその子を避けるような素振りを見せたものですから、随分と機嫌を損ねたようでした。
 そのまま私を放っておいてくれればよかったのですが、中沢さんはそうはしませんでした。それからは私が嫌がるようなことをわざとやるようになったのです。私にはわざとやっているとしか思えませんでした。最初から答えのないなぞなぞを出して、出来ないとつねったりしました。
 ある時、中沢さんは指の鳴らし方を教えてあげると言い出しました。中沢さんは指を弾いて音をたてることが出来たのです。そんなことが出来る子は、同級生の中には他にいませんでした。私もこれには興味を持ちました。中沢さんのことは疎ましく思っておりましたが、他の子供たちには好かれたいという気持ちがありましたから。
 中沢さんは親指と中指と薬指の位置を厳しく教えて、何度もやって見せてくれましたが、私にはどうしてもきれいな音が出せませんでした。私がうまくやれないのが分かると、その子は別のやり方を教えると言い出しました。そして私の指の関節ぐいと強く曲げたのです。
 それは大変痛く感じました。私はまた意地悪をされたと思い、泣き出そうとしました。すると中沢さんは、自分の関節を曲げて音を出して見せました。私は泣き出すのを止めました。いろいろなやり方で音を出せる中沢さんに感心してしまったのです。
 しかし、今度は口で説明するのではなくて、中沢さん自身が私の指を持って関節を曲げるのですから、遠慮がありません。とにかく音が出るまで曲げるのです。それでもなかなか音が出ないので、両手の指を一本ずつ、ぐいぐいと力一杯曲げるのです。
 それは本当に痛いことでした。私は中沢さんが痛いということを知っていてわざとやったのではないかと思っています。私が痛いというと、その子は平然と自分の指を鳴らして、こんなの少しも痛くないということを示すのでした。
 突然、ボキッという大きな音がして私の指が鳴りました。それは中沢さんがやってみせたのよりはるかに大きな音でした。あまりに大きな音だったので、私は指の骨が折れたのではないかと思いました。痛みも激しいものでした。
 中沢さんも驚いたようでした。急に黙って私の顔を覗きこみました。
 痛みは一時的なものでした。しばらくは痺れるような痛みが残っていましたが、それもいつのまにか消えました。
 骨が折れたのではないことが分かると、中沢さんは私の指の音が変だと言って笑いました。確かにそれは変な音でした。やたら大きい音でしたが、少しも指を鳴らした音という感じがしませんでした。
 それでも私はうれしく思いました。目的は達成したとばかりに中沢さんが立ち去ってくれたのも有り難いことでしたが、やはり、私も中沢さんと同じように指を鳴らすことが出来たということがうれしかったのです。
 それから毎日、私は一所懸命に練習いたしました。しばらくすると私は、いつでも指の関節を鳴らすことが出来ようになりました。しかし、私よりもうまく指を鳴らすことの出来る中沢さんがいることは問題でした。
 もちろん、私が中沢さんのような人気者になれる訳がありません。ただ、中沢さんは何でも出来るのですから、指を鳴らすことくらいは私の方がうまく出来てもいいと思ったのです。
 私にはひとつだけ中沢さんに勝っている点がありました。指を鳴らす時の音が大きいということです。それが本当に優れている点なのかはわかりませんが、私は中沢さんには絶対に出せないような大きな音が出せたのです。
 私は中沢さんのことをどう思っていたのでしょうか。今では、はっきりと思いだすことはできません。好いていたとは言えませんが、単純に嫌いだったとも言えないと思います。
 何月だったか、お誕生会がありました。その時、中沢さんはお友達の方たちと劇をすることになっていました。観客は同じ学級の生徒だけですけれど、私にはとても華やかなことのように感じられました。
 その時私には、はっきりした意図はなかったと思います。劇の中で、中沢さんがパチンと指をはじく場面がありました。女の子らしい仕種ではありませんが、格好の良いものでした。わたしも格好よく指をはじきたいと思ったのです。
 二度目に中沢さんが指をはじく時、一緒に指を鳴らしてしまったのです。劇を見ていた他の人には、中沢さんが指をはじくと同時に、ゴキッという大きな音が聞こえたことでしょう。中沢さんはきょとんとした顔をしてから、私を見つけ、睨み付けました。
 中沢さんの怒った顔を見ると、私は不思議なことにとても愉快な気持ちになりました。そして、怒っている中沢さんに、にっこりと微笑みを返したのです。中沢さんはますます怒りました。中沢さんは他の人にも八つ当たりしはじめ、お誕生会は台無しになってしまいました。

 中学校でもそうでした。
 小学校時代指を鳴らし続けた結果、中学校に入る頃には反対の手を添えなくてもその指の筋肉の力だけで指を鳴らせるようになりました。そうなりますと、益々止められなくなり、四六時中、指を鳴らしているようになりました。幸いにも、力の加減で大きな音も小さな音も自由に出せるようになりましたので、授業中には大きな音を立てないようにしていました。
 それでも随分と無気味な女だと思われていたようです。無理もありません、いつも指が怪しく蠢(うごめ)}いていて、近寄ると関節の鳴る小さな音が絶間なく聞こえてくるのですから。
 そしてまた、うっかり力加減を間違えてしまった時や、驚いた時などには非常に大きな音を立ててしまったものです。そんな時に、教室中の注目を集めてしまい、冷ややかな同級生の視線にさらされて、もうやめようと何度も思いました。
 しかし一度癖になってしまったことをやめるのは並み大抵のことではありません。止めようと決心し、意識して指を鳴らさないようにいたしましたが、電車を待っている時や、退屈な授業の時に、ふと気が付くと指を鳴らしているのでした。
 他に熱中できることがないことも、止められない理由の一つでした。運動はまるきり駄目でして、特に集団競技は、うまく出来ないことを自分でも恥じているのに、人からも非難され、体育の授業などでは大変辛い目に遭いました。特にバレーボールが嫌でした。パスをする時にどうしても指が鳴ってしまうのです。
 個人競技は集団競技ほど嫌ということはありませんでしたが、個人競技というものでは同級生の中に一人か二人非常に上手な子がいるものでして、そういう子に比べると全く問題にならないのです。
 生理で休まなければならないことも体育の授業を辛いものにしていました。かわいい女の子には、思春期の胸のふくらみを誉め称えることはあっても生理などないかのように振る舞っている男の子たちが、私のような女が体育の授業を休んでいると決まってからかいの言葉をかけてくるのです。
 本や漫画は好きでよく読みましたが、これは指を鳴らす癖を出してしまうことになりました。漫画に熱中してしまうと、いつのまにか指を鳴らしてしまうのです。
 なんとか癖をやめようと、指に割り箸を縛りつけたこともあります。しかし、指を縛ってしまうと、日常生活が不便で仕方がありませんし、目立ってしまってひとから詮索されることにもなります。
 三年生の球技大会の時に、背が高いという理由だけでバレーボールの選手にされてしまいました。他に得意な球技があるわけでもなく、応援にも向いていないことは分かっていましたから、強引に推されると反対できなかったので御座います。
 どの球技の選手になっても、結局は、恥ずかしい思いをしたのかもしれません。それでも、私を選手に推薦した秋山さんのことを怨みました。
 秋山さんは小柄な女の子でした。一緒に図書委員をしていたので、同級生の中では親しい方でした。また、運動が苦手な子でしたから、私の気持ちも分かってくれるものと思っていたのですが……。
 選手といってもバレーボール部の部員も選ばれていますから、ただベンチに座っていればよいはずでした。一回戦はそれで済みました。二回戦になると、観客が増えてきました。一回戦で負けた球技の選手が応援にやってくるからです。
 二回戦の相手は強敵でした。バレーボール部の正選手が三人もいるのです。三セットマッチの一セットめをあっさり取られました。私は嫌な予感がしました。二セットめも、五対○となり、負けが見えてくると、メンバーチェンジでコートに出されました。
 妙な平等主義がはびこっていたのです。私はコートに出てボールに触れたいとは思っていませんでした。他の生徒はきっと、もっとコートでボールに触れていたかったでしょう。あるいは逆転だって可能だったかもしれません。
 それでも、キャプテンの子は私をコートに出しました。そうしなければならないという強迫観念に取りつかれていたようです。
 私は三回連続でミスをしました。パスをする時に変な音を立てて笑われました。泣き顔になってようやくメンバーチェンジしてもらいました。
 試合の後、秋山さんは慰めの言葉を口にしましたが、私は聞きませんでした。秋山さんが私を選手に推薦しなければ恥をかかずにすんだのです。私は秋山さんを睨みつけました。私が指の骨を鳴らすと、秋山さんは驚いたような顔をしてから首を振り、逃げていきました。途中で一度振り返ったのが、どういうつもりだったのか、印象に残っています。
 それ以後は図書委員の仕事もあまりなく、秋山さんと話すこともありませんでした。

 高校に入ると何もかもが変わったような気がしました。
 小学校、中学校ではいつもまわりに私のことを知っている子がいました。なにをやっても駄目で、指ばかり鳴らしている無気味な女として、私はみんなに知られていたのです。高校は隣の市にある女子校に参りました。特に意識したことではなく、学力がその高校に合っていたからにすぎません。私の知っている子で、その高校に進学するものは他にはいませんでした。
 高校生活が始まると、誰にも知られていないということが、たいへんな解放感を与えてくれました。今度こそは変な評判を立てられないようにと、必死で指を鳴らす癖をこらえました。そして、一学期の間はそれに成功したのです。
 もちろん人気者にはなりませんでしたけれど、ただの目立たない女として過ごすことが出来ました。それは私にとっては、何年間も感じたことのない喜びでした。授業中に答えを間違えてもおおげさに笑われたりしないこと、廊下ですれ違う時にあからさまに避けられたりしないことは素晴らしいことでした。
 しかし一学期の期末試験の時のことでした。数学の難しい問題を解いている時にうっかり関節を鳴らしてしまったのです。大きな音が教室に響き渡りました。一瞬ざわつきましたが、私の関節の音だとは誰にもわからなかったようです。
 ただ関節を鳴らさないように我慢するだけでは駄目だということが分かりました。私は夏休みの間に別の解決法を見つけようとしました。
 まず、音を立てずに指を鳴らせるようにしました。実際に耳に聞こえる音はしないのですが、関節のずれる感覚だけがするようになったのです。しかし、手の指を動かしてはやはり無気味な感じがします。そこで、足の指を鳴らせるようにしました。これは簡単でした。
 また関節をずらしてはずし、またもとに戻すことも出来るようになりました。これもその骨の筋肉の力だけで、手を添えずに出来ました。けれども、これはただ痛いだけでしたのであまりやりませんでした。
 夏休みが終わるまでには、手の指でも足の指でも足首でも膝でもあらゆる関節を鳴らせるようになりました。そしてどの関節でも音のしない鳴らし方が出来るようになりました。
 二学期には以前よりずっと気楽に人と接することが出来るようになりました。そして女の子どうしのおしゃべりから男の子の話題も多く、男の子にも興味を持つようになりました。
 以前には男の子とお付き合いをするなどということは考えることも出来ませんでした。知っている男の子といえば、私にひどい言葉を言ってからかったり、逆に私のことを気味悪がって極端に避けたりする子ばかりでしたから。
 それでも女の子どうしでおしゃべりをしていると、見た目はそんなにかわいい子でなくても男の子とお付き合いをしていたりして、私も出来るのではと思うようにもなりました。もちろんその子は私とは違って明るい気立ての良い子でしたけれど。
 不安もありました。電車で痴漢に遭ってからは特にそうでした。私はそれまで家族は別にして男の人には触れたことも、触れられたこともありませんでした。それが鳥肌が立つほどおぞましい嫌なことだとは知りませんでした。単に異性だというだけでそんなにも違うものなのでしょうか。見知らぬ男にみだらな思いを抱かれて触られたというせいかも知れません。
 しかし、私は黙って触られていたわけではありません。男の手を取って関節をちょっと捻りました。もちろん痛みを感じるように捻りました。私は人間の関節については少し詳しいのです。
 男はすぐに手を引っ込めましたが、私の容貌についてひどい言葉を吐きかけました。確かに私の容貌は人に誇れるものではありませんが、痴漢をするような男にとやかく言われる理由はありません。
 それでもその言葉は私を傷つけました。指を鳴らす癖を隠せるようになっても、まだ人から非難されることがあったのです。思えばこれまでもずっと人から悪く言われることが嫌でした。指を鳴らしていた時は自分に非があるから仕方がない、自分の癖を直そうと思っていましたが、この時わかりました。私はただ人から悪く言われるのが嫌だったのです。
 しかし私も男の人とお付き合いすることになりました。高校生くらいの女の子というものは思い込みが激しいものでして、私の知り合いの女の子も、高校生の女の子には付き合う男の子がいなくてはならないと思い込んでいまして、私に男の子を紹介してくれたのです。
 あまり格好の良い男の子ではありませんでした。気の利いた言葉も言えませんでした。私もひとのことは言えませんし、この子にはこのくらいの男の子が適当だと思ったのかもしれません。それでもせっかく紹介してくれたのを断ってもいけないと思いました。本当は男の子というものに興味もありました。
 けれども長くお付き合いすることにはなりませんでした。私はその男の子がどんなことを考えているか知ろうとしました。しかし、その男の子は何も考えていませんでした。私の躰にしか興味はなかったのです。そのことはすぐに分かりました。すぐに暗いところに行こうとするし、私の体に触りたがるのです。
 私が嫌がるとその男の子は強い力で私の腕を握りました。男の子が力を入れると私は大きな音をさせて私の腕の関節をはずしました。これにはその男の子も驚いた様子でしきりに謝りました。
 けれども次にあった時も男の子は私に触るのを止めようとはしませんでした。幾分やさしいやり方でしたけれど、欲望は隠せませんでした。私が嫌がると私の容貌を非難する言葉を口にしました。
 これでは痴漢と変わるところがありません。私はあきれてしまいました。もっとあきれたことには、その男の子を紹介してくれた女の子までが私を非難したのです。そのくらいのことで別れてはいけないというのです。私には納得がいきませんでした。
 その後は男の人とは付き合いませんでした。私は人から非難されるのが嫌いなのです。

 高校を卒業するとすぐに就職しました。
 学校という特殊な社会では、私のような女はうまくやってゆけないと思ったので御座います。会社なら少しは違うのではないか。私はそう思いました。
 馬鹿なことを考えたもので御座います。進学の機会を自ら逃してしまったのですから。しかし、その時の私には大学も小中高と続いた教育の単なる延長に過ぎないように思えたので御座います。
 実際に就職したのは隣街の、つまり高校のある街の市役所で御座います。会社ではありませんが、似たようなものだと私は思っておりました。私の高校では、卒業後就職する人はあまりいませんでした。どうしても就職するなら公務員にしておけ。担任の先生にそう言われるままに、市役所の採用試験を受けたので御座います。
 私は間違っておりました。
 学校には平等という理想が、たとえ歪んだ形とはいえ存在していました。けれども、職場ではそうではありません。朝、机を拭くのも、休憩時間にお茶を入れるのも私の役目だと言われました。夕方、灰皿を片づけるのも私の役目でした。
 納得は出来なかったものの、新米の仕事だと言われると、そうかなとも思いました。まだ、先輩方のように仕事が出来なかったからで御座います。
 しかし、二年目になって高卒の男子が入ってきても、やはり、雑用は私の仕事でした。それでも、公務員はまだ良いほうだという話です。確かに給料の差はあまりありませんでした。
 二年目からは十分仕事はこなしていたと思います。それは何十年も勤めている方に比べれば経験は足りないかもしれませんが、雑用が新人の仕事なら男子にもやらせるべきではないでしょうか。
 私が課長にそう申し上げますと、新人に雑用のやり方を教えるのは私の役目だとおっしゃるのです。しかし、わたしがいくら言ってもその新人はまったく言うことを聞いてくれませんでした。
 結局、私が雑用を続けることになったので御座います。そして、自分が雑用係にすぎないのだとあきらめてしまうと、それまでなんとかこなしていた通常の仕事もなおざりになってまいりました。
 仕事で小さな失敗をすることが多くなってまいりました。学校生活では、こと学業に関する限り他の人に劣ることなどなかったので御座います。仕事でも当然人並み以上にやってゆけるものと思っておりましたし、事実それまではちゃんと出来たので御座います。
 けれども、私が失敗しても強くは責められませんでした。むしろ、慰められたくらいで御座います。どうも、それが私に期待されていた役割だったようで御座います。そう言えば、新人の時に素晴らしい提案をしたことがありますが、その時はひどく怒られました。その時は、私の提案に何か重大な欠陥があったのかと思いましたが、今思えば、高卒女子という役割を逸脱していたことが怒りを買った原因で御座いましょう。
 私は役割を受け入れました。高卒のあまり美しくない、取り柄のない女性という役割で御座います。自分から意見を言うことはせず、人から意見を求められても、わかりませんとか、誰それと同じですと答えるように致しました。
 職務怠慢でしょうか。私が斬新な意見を言ったところで受け入れられないことは分かっておりますのに。ただ、その役割を演じようとしたのは私の意志で御座います。単にその方が楽だったからで御座います。また、多少は面白くも感じておりました。彼らが無意識で期待していることを、意識的に演じるということが、で御座います。
 しばらくは平和が続きました。
 やがて、問題の年がやってきました。人事異動で課長が変わったので御座います。新しい課長は若村という名でした。
 若村課長は今までの課長と違っていました。私の失敗を見過ごしてはくれなかったのです。長い時間、小言を言われました。だからと言って、雑用を他の人に廻してくれるわけでもありません。若村課長にとって、私の役割は失敗して叱られる女なので御座いましょう。
 叱られないようにきちんと仕事をすればよいと思われるかもしれませんが、そうは参りませんでした。失敗したら叱られると思うと、却って意識が集中できずに失敗してしまうので御座います。決して叱られることを望んでわざと失敗していたわけでは御座いません。
 ある時、今度はかなり大きな、他の人の仕事にも影響があるような失敗をしてしまいました。そして、叱られる、叱られると思っているところを、若村課長から呼び出されました。長々とした説教が始まりました。私の事務能力から容貌まであらゆる点が非難の対象となりました。私は嫌で嫌でたまりませんでした。両手で耳を覆いたいと思いました。
 その時ふと学校で習ったことを思い出しました。耳の中には耳小骨という骨があって、この骨が音を伝える働きをしているということです。私は説教の残りを何とか我慢しました。そして週末に図書館に行き、百科事典で耳小骨のことを調べました。
 耳小骨はあぶみ骨、きぬた骨、つち骨という三つの骨から出来ていて、きぬた骨には筋肉が付いています。そしてこの骨はあごの骨から進化したものだということが分かりました。
 それから私は夢中になって耳小骨の関節をはずす訓練をしました。しばらく新しい関節には挑戦していませんでしたので、なかなかうまく行きませんでした。あごの骨から進化したということですので、その辺の筋肉を使うようにしてみました。もどかしい思いをしながらも諦めずに訓練を続けた結果、とうとう耳小骨の関節を自由にはずしたり戻したり出来るようになりました。
 両耳の関節をはずしてしまうと、完全な静寂が訪れました。若村課長の長い説教も、もうこわくはありませんでした。そればかりではありません。若い男のヘッドフォンステレオから漏れてくる耳障りな音も、満員電車の中でクチャクチャとガムを噛む音も、すべての雑音は耳小骨の関節を外すだけで消すことが出来るのです。
 音を消せるようになると、この現代社会がいかに多くの不快な音に満ちているかを、あらためて知ることが出来ました。情報化社会なので御座います。情報は量が増せば雑音になるそうで御座います。クラシックとロックと演歌を同時に聞かされれば、うるさいだけで御座いましょう。それが高度情報化社会というもので御座います。
 私は以前から新聞をとっておりません。嫌なことばかり載っているからで御座います。また、そうした三面記事ばかり読んでしまう自分の浅ましさにも嫌気がさすからで御座います。
 それでも、音を消せるようになるまでは、電車の中や職場でのおしゃべりから、そういう嫌な情報が聞こえてきました。嫌だと思いながらも気になる言葉が聞こえてくると、いつのまにか聞き耳を立てている自分も嫌でした。
 やがてほとんどいつでも耳の関節を外して、音が聞こえないようにしているようになりました。仕事でどうしても話をしなければならない時は音が聞こえるようにしましたけれど。音を聞こえなくしている時間の方がずっと多かったので御座います。それはそれは平和な時で御座いました。
 しかし、平和は長続きしませんでした。とうとう、その時が来てしまったので御座います。
 ある日、私の右の親不知が痛みはじめたので御座います。その日は木曜日で、付近の歯医者はすべて休みでした。私は鎮痛剤を飲んで仕事に行きました。
 通勤途中で気がつきました。耳小骨の関節が外せないのです。親不知の腫れが顎の筋肉を圧迫しているためなのか、痛みのため集中できないせいなのか、どちらかは分かりませんが、何度やっても関節は外せませんでした。
 久しぶりに聞いた世間の有様は凄まじいものでした。少年はナイフを振り回して人を殺してまわり、電車には毒ガスが撒かれ、ごみ焼却炉からは猛毒の物質が住宅地に降り注いでいるので御座います。
 親が子を殺し、子が親を殺し、恋人同士が殺し合う世界なので御座います。
 ここでは詳しくは申し上げますまい。何しろ貴方様はこの世界に住んでいて、そういった情報には私以上に詳しいので御座いますから。
 しかし、私はしばらくそういうおぞましいものから遠ざかっていたものですから、衝撃を受けました。その時に、生まれてはじめて自分の生きている世界がどういう世界かを知ったので御座います。
 そしてその衝撃を受けたまま職場で仕事をはじめたので御座います。親不知の痛みと世界の真実を知った衝撃で、仕事はいつも以上に進みませんでした。
 そして、そう、若村課長につかまってお叱りを受けたので御座います。しばらく聞いていなかっただけに、その説教の鬱陶しさもひとしおで御座いました。その説教の最中に、電車の中で聞いたOLの上司殺しの話を思い出しました。
 電車の中で聞いた話なので正確なことは存じません。実際、OLが上司を殺したという以上のことはほとんど知らないので御座います。
 それにもかかわらず、そのOLは私だと思いました。よく知りもしない事件の加害者に感情移入していたので御座います。気がつくと私は手に持ったボールペンを若村課長のこめかみに突き立てていたので御座います。
 裁判長閣下、どうぞ私に厳罰を給わりますようお願い申し上げます。
 刑務所がどんなところか存じませんが、私は刑期を終えた後が恐ろしいので御座います。刑務所という世間と隔たった所から、この世間に戻ってきた時に、この世間がどう見えてしまうのか、それが恐ろしいので御座います。
 裁判長閣下、どうぞ厳罰を、厳罰をお願い致します。

おわり

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