未勝利日記

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2009年3月15日 (日)

○あっという間に時間が過ぎて

年を取ると、時間の経つのが速いって本当にそう思う。 それが悪いこととも言い切れず、何も考えなくても時間が経って行って、 人生を終えるのも悪くはないという気もする。

2009年3月16日 (月)

○ふと気がつくと

ふと気がつくと米が切れている。この間、買ったばかりなのになぁ。 ふと気がつくと流しの排水が悪くなっている。この間、掃除したばかりなのになぁ。 ふと気がつくと風呂場にカビが生えている。風呂場だってついこの前掃除したんだけどなぁ。 ふと気がつくとトイレが汚れている。おかしいなぁ、しょっちゅう掃除しているんだけどなぁ。 ふと気がつくと漫画雑誌が山のように溜まっている。おかしいよ。そんなに雑誌買ってないのに。 なんか時間の流れがおかしくなっているんじゃないだろうか?

2009年3月19日 (木)

○「丸腰国家」読了

丸腰国家ーー軍隊を放棄したコスタリカ60年の平和戦略ーー(ISBN:978-4-594-5872-2)

第1章と第2章は面白かった。コスタリカも移住先候補に入れておこう。

2009年3月20日 (金)

○エコフォビア

川端裕人のブログの2009.3.19 をみて、同じようなことが昨日呼んだ「丸腰国家」にも書いてあったと思い、それについて書く。

エコフィビアというのは、同じく 川端裕人の2005.10.27から引用すると

「例えば子供の頃に性的な虐待を受けた子供は大人になってもセックスが好きになるわけではなくて、逆に性にかかわるさまざまなことに恐怖を持つようになるでしょう。もしも、動物について、あるいは生態系について、怖い話を聞かされ続けた子供はそのことを咀嚼できず、逆に目を背けてしまったり、無力感にさいなまれたり、過剰に怖がってしまったりすることがあるのね。特に熱帯雨林の破壊みたいに子供たちにはどうしようもないことを教えられるとその傾向が強くなるの。それをエコ・フォビアって呼んでいるわけ」

で、「丸腰国家」のコスタリカ人が平和という言葉から「平穏」 「自由」「民主主義」「文化」という言葉を連想すると書いた後212ページから213ページで、

一方日本では、平和という単語を聞くと、逆のことであるはずの戦争を思い浮かべる人が多い。平和という言葉が使われる時は、ほとんどの場合、戦争の話をしている時だからだ。

中略

ところが、平和という言葉に戦争というネガティブなイメージが影のようにつきまとってしまうと、「平和」と聞くだけで思わず戦争のことを想起してしまい、嫌な気分になってしまう。これが、わたしたちが陥っている罠なのである。

学校というところには非常に問題が多いので、もういっそ学校教育はやめた方がいいんじゃないか というくらいに俺は考えているのだが、日本の学校ではどうしても学級運営が主体になって、 あれをするな、これをするな、人の迷惑になることをするなということを教えるのだが、 それと同じように、エコについてもあれをするな、戦争については、戦争で日本はこんなに ひどい目にあったから、戦争はない方がいいと教える。

逆に、生態系というのはこんなにもうまく出来ているということ。人が本来は自由な存在で あることを教えるというか、教えずに学ぶようにすることが望ましい。

俺はコンピュータゲームを好んでするが、ゲームの面白さのひとつは学ぶことの面白さ である。体系的な理解はもちろん面白いが、そうでなくて単に何かを暗記するだけで あっても、昨日出来なかったことが今日出来るようになるとうれしい。 そういう面白さが、一部の出来る子を除いては、奪われてしまっている。

ま、いいんです。世界はまわる。日本は戦後、アメリカの強力な依怙贔屓 支援によって驚異的な発展をしたわけですが、その発展にはアメリカの支援だけでなく、 政府の目標に国民が一致して従うという、国民性が大きな役割を果たしていたと思うし、 それは教育でも同じように、成績のよい子供を大量生産するという仕組みとなって 発展に寄与したのです。

その性質はたまたま発展に貢献したけれど、俺の中の西洋思想的には、よい性質とはいえない わけで、状況が変われば別の側面が表れてくるもの。俺の中の東洋思想的には、 最悪の政治状況を生き延びるには、従順さは役に立つ。俺の中の西洋思想的には、 最悪の政治状況は打破するべきものだが、俺の中の東洋思想的には、最悪の政治状況であっても いつかは終わるから、生き延びることが重要なのだ。

全然まとまってないけど、まとめることを放棄しているから。だって、これをまとめると 長くなるんだもの。まとめると長くなるとはおかしいじゃないか。