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未勝利日記

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2003.10.26 (日)

すべての死者は安らかに眠る。

どうやら私は宗教的な人間らしく、テッド・チャンの 「あなたの人生の物語」の中では「地獄とは神の不在なり」 が最も素晴らしいと感じるのである。逆に「理解」は読んで面白い のは確かだが、非常に優れているとは感じられない。

現代日本という「狂信的無神論者」があふれている社会で、 宗教的な人間であると告白したところで何も良いことはないのだが、 どうしても私は「無条件に神の不在を主張する」ことはできない。 もっとも、私が信じているのは「神の存在」あるいは「神のような ものの存在」であって、「神」の性質が聖書に書かれているようなもの であるとは信じていない。

さらには、私は本質的には仏教を信じていて、つまりキリスト教徒 ですらないのだ。しかも、「輪廻」については信じているとは 言いがたい。実のところ、私の信じている内容を細かく書けば、 それは「もうひとつ別の新興宗教」といった感じになるであろう。

しかし、そんなことはしないのである。なぜなら、私は自分を含めて 人間を信じていないからで、私の「信じていることを人に伝える力」 も、人の「言っていることを理解する力」も信じていないからである。 実際、我々が神について得る知識は、すべて人の語ったことであるから、 それは極めて不正確なものと考えなければならない。

ところで、「1、2、3」というような数は実在するであろうか? マイナスの数や虚数の実在はともかく、自然数は実在すると感じている 人は結構いるのではないだろうか。しかし、理性的に考えれば、自然数が 実在するなら、マイナスの数も虚数も実在しそうである。 これは、集合は実在するかという問題と同じように思える。 そして「集合」という概念は実在することは確かであり、また、「数」 という概念も実在すると言えるであろう。 私が信じていることは、数というものについては、概念の存在と実在とを 同一視してよいということである。

「神」についてもだいたい似たようなことを考えている。

これは「神」について言われているほとんどすべての性質を否定または 保留した上でのことである。

「よいことをした人は、たとえ生きている間に報われなかったとしても 死後には報われる」 「悪いことをした人でも、心から反省すれば、死後に罰せられることはない」 この二つを信じても、人生で不利益になることはないであろう。 私はこの二つを信じるに値することだと思っている。 (「信じるに値する」という「文字どおり」の意味で)

ところで、死後の世界であるが、これも「概念の存在」と「実在」を 同一視してもよいような種類の言葉であると考えている。 そのためには「死後の世界」の性質についての言及はすべて否定または 保留する必要があったとしても。

ここまで、杉並は何を言っているのだと思った 「神や死後の世界を信じない」人こそ、 次の言葉は否定できないであろう。

「死んだ後まで苦しむ人はいない」

従って、杉並の当面の信仰としては

「すべての死者は安らかに眠る」


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